大分県竹田市の石橋

ここ東陽村は石工発祥の地として全国的にも有名な村です。中でも東京の日本橋や旧皇居二重橋を手がけた橋本勘五郎や
鹿児島の五大石橋を架けた岩永三五郎、石橋の祖と言われた藤原林七など、ここの「種山石工」の集団が日本の石橋の歴史
そのものではないでしょうか?このアルバムでは今でも東陽村の生活の一部となっている石橋を紹介していきます

笠松橋(かさまつ)
002.7.28 川俣字久木野
架橋:明治2年(1869) 石工:橋本勘五郎 長:22.7 巾:2.7
東陽村でもっとも大きな石橋です。
現在は周囲が公園化されて村民の憩いの場となっているそうです
石匠館(せきしょうかん)
東陽村
肥後の石橋、特に種山石工グループの歴史を調べるのに最適の場所です。館内には目鑑橋の基盤となる支保工の模型や、日本国内外の石橋の写真、体験コーナーなども儲けられており、東陽村に行ったら是非とも立ち寄ってもらいたい場所です。
石匠館(せきしょうかん)
館庭には、たぶん平野と棚田と石橋をイメージしたと思われる(これは僕の憶測です)このような場所も儲けられております。
大久保自然石橋 2002.7.28
東陽村大字北字西原
架橋:明治30年(1897) 石工:橋本勘五郎
長:1.7 巾:0.7
鍛冶屋谷川の最上流に架かる石橋で、橋本勘五郎が隠居生活に入ってからの作品だそうです。
自然石だけで作った日本一小さな石橋ではないでしょうか。
大久保自然石橋(おおくぼしぜん)
赤丸の中が橋の部分ですが、とても小さな石橋なので案内板がないと見逃してしまいそうでした
鍛冶屋上橋(かじやかみ) 2002.7.28
東陽村大字北字西原
架橋:文化元年(1804)
石工:藤原林七
長:4.1 巾:2.6
この橋のすぐ下に中橋・下橋とありますが、3基の石橋とも肥後の石橋の開祖と言われる藤原林七が肥後に来て最初に架けたものです。
鍛冶屋上橋(かじやかみ)
このように当時の姿のまま残されています。
肥後の石橋がこの橋から始まったなんて、なんだかロマンを感じてしまいますね。
鍛冶屋中橋(かじやなか)
2002.7.28 東陽村大字北字西原
架橋:文化元年(1804)
石工:藤原林七
長:4.36 巾:2.67
これも林七が手がけた三橋のひとつです。
アーチがほとんど半円に近いのが特長で、林七の長男に当たる「喜八」や弟弟子の「三五郎」も架橋を手伝ったと言われているそうです。
鍛冶屋自然石橋(かじやしぜん)
200.7.28
東陽村大字北字西原
架橋:明治28年(1895)
石工:橋本勘五郎
長:2 巾:1.3
この作品も勘五郎が隠居生活の時に遊び心で作ったと言われている自然石だけを使った芸術的な石橋です。100年以上風雪にさらされながら巾は当時の半分程になっていました。
鍛冶屋下橋(かじやしも)
2002.7.28
東陽村大字北字西原
架橋:文政元年(1804)
石工:藤原林七
長:7.03 巾:2.46
林七の最高傑作と言われるこの石橋は後の喜八や三五郎、ひいては勘五郎にその技術が受け継がれて行った、いわゆる石橋のルーツかもしれません
重見橋(しげみ)2002.7.28
東陽村石橋公園
架橋:明治10年(1877)移設:平成元年
石工:種山組
長:9 巾:3.2
東陽村のシンボルゾーン、「石橋公園」内にある石橋です。
元は重見地区の入り口に架けられていた物が河川改修により現在の場所に移設されたそうです。やっぱり本物の川に架かっていた方がイメージ的に良かったように思います。
欄干なども新しくされてあるそうです。
谷川橋(たにがわ)
2002.7.28
大字川俣字鶴中
架橋:昭和4年(1929)
石工:川野・田上
長:21.38 巾:3.55
昭和に入ってからの架橋で東陽村に架けられた最後の石橋です。
今では補強不足のため、水平なこの橋にアーチ状の鉄橋が架けられています。
撮影した日は夏休みと言うこともあり、親子連れのキャンプ客で賑わってました。
谷川橋(たにがわ)
側面から見たところです。
強度不足からコンクリートで補強されています。石橋の上からアーチ状の鉄橋が架けられています。
笠松橋(かさまつ)
2002.7.28
川俣字久木野
架橋:明治2年(1869)
石工:橋本勘五郎
長:22.7 巾:2.7
東陽村でもっとも大きな石橋です。
現在は周囲が公園化されて村民の憩いの場となっているそうです。
笠松橋(かさまつ)
上流から写した画像です。
鹿路橋(ろくろ)
2002.7.28
大字川俣字座連口
架橋:嘉永元年(1848)
石工:種山組(喜八)
長:20.38 巾:2.77
今は現役を退き夏草に覆われているが、川俣川の清らかな流れと相まって素晴らしい景観をかもし出している。
鶴下村中橋(つるしもむらなか)2002.7.28
川俣字鶴下
架橋:明治10年(1877)
石工:種山組
長:13.3 巾:2.23
種山組により、美生川に最初に架けられた橋だそうです。山口橋からさらに10メートル程上流にあり二つの橋は同時に見る事が出来ます。車で渡って見ましたが、さすがにビクともしません。
蓼原橋(たではら)
2002.7.28
川俣字鶴下
架橋:大正3年(1914)
石工:川野
長:20.14 巾:1.98(2.7コンクリ)
周囲の景観とよくマッチした石橋です。
現在も現役で十分役目を果たしていました。
蓼原橋(たではら)
基礎から壁石にかけてこのように農作業の材料が保管されていました。生活の知恵ですね。
この橋は壁石が扇状に組まれているのが特長です。

美生橋(びしょう)
2002.7.28
川俣字美生
架橋:大正6年(1917)
石工:田上勘太郎
長:8.65 巾:3.52
美生川最上流にある石橋です。
かなり丈夫に作られています。
この地は美人が沢山生まれている事から美生の名前がついているそうです。確認の必要がありそうですね!!
松山橋(まつやま)
2002.7.28
小浦字重見
架橋:大正4年(1915)
石工:川野(種山組)
石橋公園にある重見橋も元はこの近くにあったもので、地元の人は重見橋を男橋、松山橋を女橋と呼んでいたそうです。いかにも曲線が美しい橋ですね。
松山(まつやま)橋
下流から写した画像です
仁田尾橋(にたお)
2002.7.28
小浦字舘原
架橋:弘化元年(1844)
石工:種山組
長:9.71 巾:3.03
小浦川に架かる橋の中では最も大きい橋です。
林七が鍛冶屋谷に三橋を完成したから40年後にはじめて出来た石橋がこの仁田尾橋だそうです。
館原橋(やかたはら)
2002.7.28
小浦字館原
架橋:嘉永元年(1848)
石工:種山組
長:7.25 巾:2.32
仁田尾橋のさらに上流に位置するのがこの館原橋です。当時は地元の林業を担う橋として活躍してましたが、車の大型化と共に現役を退き今は大切に保存されています。
山口橋(やまぐち)
2002.7.28
川俣字鶴下
架橋:大正4年(1915)
石工:川野
長:10.97 巾:1.59
扁平率が高くなるほど難しいとされる石橋であるが、この山口橋は5.0の超扁平に作られており、スマートなラインがとても綺麗であった。近くの人に話を伺ったがこの橋が東陽村で一番綺麗な橋だとか・・・
岩本橋(いわもと
2002.7.28
小浦字館原
架橋:明治4年(1871)
石工:藤本・(種山組)
この橋の一番の特長は片足部を川岸部の岩盤で支えて、形が四半径になっているところである。これは洪水の時も強固な岩盤が橋を守ってくれると言う実に見事な作りになっている。
今屋敷橋(いまやしき)
2002.7.28
下流川底から写した画像です。
今屋敷橋(いまやしき)
2002.7.28
小浦字館原
架橋:嘉永元年(1848)
石工:種山組
小浦川の最上流にいちするこの橋は種山石工集団が各地で腕を振るっていた時の石橋のひとつと言えるでしょう。
白髪岳天然石橋(しらがだけてんねん)
2002.7.28
大字北字五反田
架橋:推定2千数百年前(?)
長:27 径間:18 拱矢:9
まさに石橋の里東陽村にふさわしい自然に出来たアーチである。
その他、各市町村に点在する石橋のアルバムです。
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