大分県竹田市の石橋
ここでは東京都に今も現存する貴重な石橋を紹介します。



オンマウスにて別角度からの画像に変わります。
                       ■皇居正門石橋■ 
撮影2004.05.02 架橋:明治20年(1887) 長:35.2 幅:14.5
皇居正門前の石橋です。この場所には元々、橋本勘五郎が明治6年に明治政府の命を受け上京し、
その後最初の仕事として見事な石橋(西丸大手下乗橋)を架橋したのですが、明治20年(1887)に
現在の眼鏡橋に架け替えられています。
皇居と言ったら二重橋をイメージするように、この日も海外からの観光客を含め多くの人々の記念撮影
スポットとなっていました。

               ■正門鉄橋(西ノ丸下乗橋)(月見橋)
           撮影:2004.05.02 架橋:昭和38年(1963)
皇居正門石橋の奥にある正門鉄橋が「西丸下乗橋」(月見橋)と呼ばれ,かつて木橋の時、
堀が深く谷の中央に橋脚を掛け、さらにその上に橋を渡した二段構造であったことから、
こちらを二重橋と呼んでいましたが,その木橋は昭和43年に落成した新宮殿の工事用車両の
重量に耐えられなかったため、工事に先立ち昭和38年にこの鉄橋に架け替えられたそうで、
いつしか皇居正門前の橋を称して二重橋というようになったようです。


オンマウスにて遠景の日本橋が見れます。
日本橋
撮影:2004.05.02 千代田区日本橋1−1 
架橋:明治44年(1911) 長:49.1 幅:28.8
木造の旧日本橋(長さ60メートル)は慶長8年(1603)に徳川家康の時代に初め
て架けられ、その後20回にも及ぶ架け替え工事の後、洪水にも流されない丈夫な
橋をという願いを受け、現在の総御影石造りの眼鏡橋となったそうです。見ての通り
(オンマウス時画像)、真上を首都高速が走り、お世辞にも趣のある光景ではありま
せんが、将来日本橋界隈を昔ながらの景観に戻そうという動きがあるとかで、橋の
   袂には枝垂桜が植樹されていました。                              
上の画像は両国の江戸東京博物館に復元
されている木造の旧日本橋です。

                               ■常磐橋(ときわばし)■ 
                撮影:2004.05.02 架橋:明治10年(1877) 長:32.8 幅:11.8
徳川幕府の時代には、江戸城の正面玄関的な役割をはたしていた「常磐橋門」の前にかかる橋です。
江戸城から浅草や上野、日光方面へのスタート地点になり、将軍様もこの橋を幾度となく通られたわけですね。
当時はもちろん木造の橋でしたが、明治10年に、廃止された常磐橋門の石垣に使われていた石を流用してこの石橋
が架橋されました。またこの常磐橋は明治政府の「燃えない都市作り」の一環として架けられたものでもあり、一部石材に
大理石が使われたり、欄干の柵は火災に耐えられるよう鋳鉄製となっています。
もうひとつ特徴的なのが、アーチ壁石が同心円状(写真右下)に積まれていることです。それゆえ都内唯一の様式アーチ橋
と呼ばれている由縁でしょう。


オンマウスにて一石橋から見た常橋に切り替わります。
橋(ときわばし) 撮影:2004.05.02 架橋:昭和元年
橋の数十メートル下流に架かる石橋です。呼び方は一緒ですが、
漢字が一文字違っています。
こちらのアーチ橋が新しいせいか、近代的な造りになっており、趣と言った
点では、上流の常磐橋に一歩及ばないところでしょう。
こちらは常盤橋の親柱です。
夜になると上部の窓に明かりが
灯るかどうかは不明です???

千代田区新幸橋下のレンガ造りのアーチ部分には、タクシー会社などが入り見事なまでに有効利用
がなされていました。 撮影
:2004.05.03


                             勝鬨橋(かちどきばし)■ 
                          撮影:2004.05.02
 竣工:昭和15年(1940) 橋長:250メートル
この橋は隅田川河口に架かり、中央区築地と月島を結ぶ交通の要として今も活躍しています。架橋当時は中央部が両側に跳ね上がり、
3000トン級のタンカーが航行できてましたが、車の交通量が年々増え、、渋滞を避けるため、昭和45年を最後に開かずのゲートになって
いるそうです。日が暮れると、このようにグリーンやブルーの蛍光灯でライトアップされています。

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