
| 宗不旱(そうふかん)は鹿本町出身で、熊本が生んだ最大の歌人であると言われています。その宗不旱の終焉(しゅうえん)の地が この歌碑より1.3キロ下方にある事から、故郷が見下ろせるこの地に歌碑が建てられました。 実は、この地は不旱第三の歌碑であり、最初の歌碑は昭和二十三年に水前寺公園内に「ふる郷になほ身を寄する家ありて春辺を 居れば鴬の鳴く」という歌が石に刻まれ、第二の歌碑は不旱の故郷鹿本町の役場前に「くちなしの実もて色塗るふるさとの来民の 団扇春の日に干す」と刻まれて建っております。 |
| ■宗不旱■ 熊本が生んだ歌壇の奇才、幼名耕一、後に耕一郎と改名、済々黌、長崎鎮西学院熊本医学校に学ぶ、晩年は持病に堪えながら 放浪の旅を続け、昭和17年9月25日鞍岳山腹に発見された遺体が、後に宗不旱と判明した。 |
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| ■宗不旱歌碑■ 撮影:平成15年9月4日 熊本県菊池郡大字弁利字萩野(大規模林道沿い) |
不旱の郷里、鹿本町を見下ろせるこの地に歌碑が建てら れています。(歌碑除幕式:昭和53年5月28日) |