大牟田市の石橋

福岡県大牟田市に現存する石橋の紹介です。


早鐘眼鏡橋


輪石や壁石に薄い板状の石材が使われているのが特徴です。

巾45cm×深さ33cmの三方石張りの水路
余談ですが、国の重要文化財指定を受けている事を前提に訪れた事も手伝って
その環境の悪さには驚いてしまいました。
右の写真は恐らく駐車スペースでしょうが、そこには鎖が張られ、眼鏡橋までの
通路入り口には鉄柵が設けられ、おまけに鍵が掛けられていました。
幸いに柵の横には人が通れる程のスペースがあり、何とか入ることが出来ました。

(後に分かった事ですが、その鍵は近所の米屋さんで借りられるとの事でした)

ちなみに早鐘眼鏡橋そのものは非常に良く手入れされていました。
■早鐘(はやがね)眼鏡橋■ (昭和45年 国需要文化財指定) 撮影:2005.10.30
福岡県大牟田市早鐘町  架橋年:延宝2(1674)年  長さ11.2m、幅3.15m
この水路橋が完成する10年前(1664年)、大牟田の三池藩代官「平塚喜右衛門」は、せっかく有明海沿いの干拓をしながら水不足で米つくりが出来ないでいる
農民の困窮を救うため、早鐘山の麓に貯水面積4万平方メートルの溜池を完成させました。
ところがこの溜池の水を干拓地に流すには早鐘の谷を越えなければなりませんでした。どうしたら確実にこの谷を越えられるか思案していた頃、長崎の石造橋
噂を聞き、「これなら何とかなるかもしれない」と早速家臣を長崎に派遣し太鼓橋の技を勉強させ、わが国で最初の水路橋を完成させたのでした。
早鐘眼鏡橋は肥沃な干拓地を見事に蘇らせ、稲作面積はなんと十倍にも増え、農民の生活と三池藩の窮地を救いました。


三池陣屋橋


下流の田町橋から見た三池陣屋橋

道幅も狭く中央が競り上がって車の通行には神経を使いそうです。

標柱には「陣屋眼鏡橋」と書かれています。

この橋の守り神なのでしょう?!!2メートル近い「ヘビの抜け殻」
輪石の中へ頭を突っ込んだ形で残っていました。

上流からの画像です。
奥に見える橋が県道93号線沿いに架かる田町橋(鉄筋コンリート製)になります。
■三池陣屋(みいけじんや)橋■ 撮影:2005.10.30
福岡県大牟田市三池新町  堂面川,  架橋:嘉永七年(1854)  石工:棟梁 金兵エ・棟梁脇 幸兵衛・伊三良 全長:11.5 巾:4.3 
この橋は、元三池藩主御陣屋の大手門前に架けられていたそうです。
架橋年についても諸説ありますが、要石に「幸兵衛・伊三良」と刻まれ、なぜかその右四個目の輪石には「檪野石工棟梁金兵エ・棟梁脇幸兵衛・伊三良」
と刻まれており、これらの石工の活躍した年代で、嘉永5〜7年にかけてはこの橋以外に手掛けた石造物が確認出来てない事や翌年の安政二年(1855)
には明神鳥居を造立する事を約束した「幸兵衛」の設計図が残されている事、三池陣屋の再建が始まった嘉永五年(1852)頃に架橋計画がなされた
だろう事を推測すると、嘉永七年(1854)架橋説が最も信憑性が高いと思われます。
嘉永七年と言えば、肥後(熊本)では通潤橋(国指定重要文化財)が架橋された年でもあります。

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