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別名「海軍炭鉱」竣工当時(明治30年)は日清・日露戦争で艦船に膨大な石炭が必要とされる時代、良質な石炭を産出できた天草西岸の
炭鉱は日本海軍にとって重要な燃料庫となっていました。それが「烏帽子抗」=「海軍炭鉱」と呼ばれた所以です。
特に、この海に浮かぶ「烏帽子抗」は良質な無煙炭を産出していましたが、石炭の採掘や搬出はもとより、坑内に浸入する海水の排水作業も
全て人力で行われていたため、炭鉱内で働く人々の労働条件は過酷を極めていました。
それにしても誰が海の中に坑口を作ろうなどと思いついたのでしょうか?それも見事なまでに計算し尽くされたデザインと屋根の部分をレンガで
覆ったユニークな姿はまさに九州遺産、芸術品と言っても過言ではありません。
坑口の後方には防波を目的とした石組みが設けられ、100年以上もの間荒波に耐えてこられたのも、やはり当時の石工の技術の高さがあった
からに他なりません。マピオンロゴ
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