
熊本県菊池市泗水町吉富(花房台地)
| 第二次世界大戦当時、この花房飛行場の建設に携わっていた方のお話によると、昭和10年から始まった工事は同15年には全ての施設が完成し、少年飛行隊などの訓練が連日 繰り返され、当然訓練中の事故も毎日のように発生し、中には練習機同士で接触し墜落する場面や、離着陸に失敗して炎上する機体などを目の当たりにし、複雑な気持ちで眺めて いたそうです。 その後戦況は悪化し、花房飛行場も例外なく米軍機の爆撃の標的となり、空襲は幾度となく繰り返され昭和20年の大空襲時には30人以上の尊い命が失われ、飛行場施設も全壊 状態になりましたが、辛うじて戦禍を逃れた施設が住宅地内に現在でも数ヶ所残され、戦争の悲惨さを現代に伝承しています。それこそ花房飛行場跡戦争遺構であります。 戦後、飛行場内に残された使用可能な工作機械や、「赤とんぼ」と呼ばれた4式基準練習機などのまだ飛行可能な機体は進駐軍に没収され、残りは無残にも全て焼き払われた という事です。 余談ですが、この時代は個人宅にも護身用として日本刀を所有している家も珍しくなく、ただ進駐軍による没収を恐れ、そのほとんどが村の鍛冶屋に集められ鉄の塊にしてしまった とか・・・・(今持っていれば鑑定団で高値が・・・) |
| 下の古いモノクロ画像2枚は終戦の年、昭和20年10月23日に米海軍機撮影の写真を、 過日「熊本日日新聞」が「占領下の熊本」と題した特集記事で使用した画像をコピーしたものです。 終戦直後、花房飛行場にずらりと並べられた機体や爆弾の山、「赤トンボ(4式基準練習機)」は木製のプロペラで翼は布張りでした。 この後全て焼き払われたそうです。 |
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主に輸送・連絡用に使用されていた「薫風」後部座席にはドラム缶が剥き出しで積まれ、ぼろぼろの布張り翼が痛々しい・・・ |
| 弾痕が残る高架水槽跡 2008.02.11 | こちらも弾痕残る配水管 2008.02.11 |
花房飛行場で最も大きかった格納庫の基礎部分のみが残されています。
奥のほうには屋根をつけ物置代わりに使われる基礎部分が見えます。2008.02.11 |
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こちらは見事に炭焼き小屋に変身を遂げた格納庫基礎部分です。 2008.02.11 |
「弾薬庫跡」赤く錆び付いた扉の奥には戦時中は無数の弾薬が保管されていたのでしょうが、今では資材倉庫となっているようです。
2008.02.11 |
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2008.02.11 |
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2008.02.11 |
「油倉庫」
2008.02.11 |
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2008.02.11 |
部隊営門跡 2008.02.11
完璧に塀と化した格納庫の基礎部分です。 2008.02.11
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