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| 石橋を探し、写真に収め、ホームページで紹介して行く内に、どうしても見たくなるのが架橋当時、あるいは移設前の 石橋の姿ではないでしょうか? 今回、朝日新聞社のアサヒグラフ昭和50年1月31日号「郷愁の石橋(九州・沖縄に咲いた眼鏡橋文化圏)」 並びに、プロカメラマンの渡辺直之様のご好意で石橋の写真を提供していただき、昭和の時代に撮影された石橋 が、景観はもとより、時代の流れと共に石橋自体が移設されなければならなかった背景など一緒にお考えいただき、 今後の保存運動に繋がって行ければと思っております。 |
![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成16年(2004)2月7日 |
| さて、上の二枚の写真で何か違うとお気づきでしょうか?そうです、左の写真は欄干がほぼ真っ直ぐなのに対して右の写真では中央部が盛り上 がっているのがわかります。実は架橋当時(弘化4年「1847」)は右の写真のように中央部が盛り上がっていたのですが、明治時代に中央部の 高さに合わせて石が積み足され(車社会の到来に合わせて通行しやすいフラットな路面にしたものと思われます。)その後昭和41年に現役引退 し翌42年に国の重要文化財指定を受けるのを機に、元の形へと戻されたそうです。 |
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![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成14年(2002)8月13日 |
| この石橋(写真左)は通潤橋(矢部)と同じく橋の上面に水路を通した水路橋で、西上町吉田川に架設されたこの橋は水不足に苦しんでいた 中村地区に寺島井手の用水を引き込み、田畑のかんがい用として昭和28年(1953)まで活躍していました。 しかしその後吉田川河川改修工事により、昭和58年にこの博物館敷地(写真右)に移設されました。見事な眼鏡橋ですね。 残念なことは、やはり川が流れてないことでしょうか・・・ |
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![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成14年(2002)8月27日 |
| ほぼ同じ角度から撮影されたものですが、ご覧のように自然な流れの河川が現在は河川改修で三方張りとなっております。 | |
![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成16年(2004)3月28日 |
| 左の写真では「門立」の文字がはっきりわかりますが、30年以上の時の流れと共に右の写真のようにやっと読み取れる程に薄れてしまいました。 柿木も無くなり現在は遊歩道が出来ています。 |
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![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成14年(2002)8月12日 |
| 左の写真はおそらく現役で人が往来していたころのものと思われます。まだ桜の木も植えてありませんが、現在では隣にコンクリートの新橋が 出来、両岸には桜の木が植えられ、春には大勢の花見客で賑わっております。 |
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![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 撮影日:平成14年(2002)8月17日 |
![]() 画像提供:伊原博司様 |
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| 左上の写真は前川(太田川)に架かっていたころのものですが、その後、隣の木製の橋がコンクリート橋(左下)に替わり、平成5年の 水害により迫り石4個が流され、翌年9月に現在のあんずの丘公園下(写真右)に移設復元されました。 |
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![]() 画像提供:アサヒグラフ 撮影:渡辺直之様 |
![]() 画像提供:熊本国府高等学校様 |
| 嘉永元年(1848)に架橋された眼鏡橋で、その優美な姿は熊本県内でも最も美しい石橋と賞賛されていました。そして頑丈な石橋としても 有名で、大正元年、昭和26年、そして47年の水害で、ほかの橋は崩壊してもこの石橋だけはビクともしなかったそうです。 それが昭和63年(1988)5月3日、熊本県下を襲った歴史的な集中豪雨によって崩壊してしまいました。 しかし「崩壊の原因は石橋の構造上の問題ではないのではないか?」と疑問を投げかける声も少なからずあります。 崩壊した御船川目鑑橋の石組みの部品はほとんどが御船町に保存されています(写真右)、この石材が再び眼鏡橋として黄泉がえる事を 切に望みます。 |
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