大分県竹田市の石橋
菊池郡旭志村に存在する石橋の紹介ですが、残念なことに現存するアーチ式石橋はひとつもありません。
ただし円通寺の石門の架設と同年代に架橋された片川瀬地区の宝来橋(昭和53年にコンクリート橋に架け替え)
は親柱のみが同地区の神社内に移設されており、現在、当時の写真などの資料探しをしているところです。


円通寺(えんつうじ)石門(熊本県指定重要文化財) 撮影:2003.11.11
菊池郡旭志村岩本、架設:天保(1830〜44)自忍和尚により作られたと言われてますが、
石工は不明です。
総巾:5.4 総高さ:3.9(平成12年復元修復)

伊坂(いさか)石桁橋(仮称) 長:5.2 巾:3.8 高:1.0
 菊池郡旭志村伊坂 撮影:平成17年(2005).01.15
伊坂地区の北側、合志川より引かれた小川(井出)に架かる桁橋です。つい最近まで雑草に覆われ石橋であること
さえ気付きませんでしたが、工事用の除草作業で側壁が現れ、初めて石造の桁橋だということが確認出来ました。
ただ最大の関心事は「道路拡張に伴いこの橋も撤去されてしまうのでは?」ということで、最悪の結果も想定し慌てて
写真撮りを済ませてきました。
静かな田園地帯に架かる桁橋、出来ればこのまま保存
してもらいたいのですが・・・
水の抵抗を最低限に抑えるため、支持台は角の部分が
流れ方向に向けてありました。
(オンマウスにて拡大画像あり)

下流より左岸裏側の画像です。川の中央に支持台(33×33)を4本
立てその上に川の流れと平行に石材(39×25×150)を3本並べ、
その上に両岸より長さ2.6メートル(38×33)の石材を乗せてあります。
下流右岸裏の画像です。表面が整ってないのは手掘りの証で
しょうか?架橋年が気になるところです。
撤去
岩根工業様の御好意で撤去作業中の現場写真(フラッシュ)を御提供していただきました。
無残にも中央の土台部分のみ残し、
撤去作業が進められておりました。
いかに頑丈に造られた石橋とて、
重機の圧倒的パワーには成すすべもなく・・・
撮影:平成17年(2005)1月18日 心配が現実となってしまいました。
先日(1月15日)偶然発見して、とりあえず写真を撮ってから
わずか三日後の画像です。
伊坂石桁橋(仮称)は無残にも
撤去作業が進んでおりました・・・

このままでは人知れず拡幅工事の埋め立てに使われてしまうのは
必至!!
たまたま地元の業者さんが工事を担当されていた為、会社に連絡を
入れ、石材を分けて貰えないかお願いすると、すでに事務所に帰って
おられた現場監督がここまで戻ってきてくれて、話を聞いてくれることに
なり、再度石材の一部を分けてもらうようお願いすると、現場監督からも
「この石橋を解体するにあたり文化的価値を有する石橋を解体する
のは忍びなかった、誰かもらう人が申し出てくれないか?」
と思いながら
作業にあたっていたとのこと、
「そういうことなら是非持って行ってください」
と快く快諾のお返事、無事分けていただくことになりました。
(上画像、川の中央部に残る部分)

ただ、問題はどうやってこの石材を運ぶかに・・・
ここでも現場監督の
「大事に残してもらえるなら指定の場所まで運んで
おきますよ」
のお言葉に甘え、近くの親戚の庭まで運んでもらうことになり
ました。
最終的には自宅の庭まで運び、基礎部分だけではありますが、
できる限りこのままの状態で復元したいと思っております。

↓保存↓

土台に使われていた石材を分けていただけることのなり、2月6日にダンプにて
bmh家の庭に移動、このような盆栽置きという形にて保存して行くことにいたしました。


宝来(ほうらい)橋■ 撮影:2003.9.18 旭志村片川瀬
架橋:天保6年(1835) 昭和53年コンクリート橋に架け替え
石工:玉名郡鍋田村の貞助 長:11.45m 幅:2.6m 高:6.9m 
架橋功労者 庄屋:東直治郎(竹迫手永の人) 頭百姓:牧平治・玄吉 世話人:大作・源吉
         年行事:源次郎・半助  世話方協力者:藤兵衛(藤七) 
宝の来る橋と書いて宝来橋、旭志村に唯一架橋されたアーチ式石橋でしたが、残念なことに
昭和53年の河川改修工事で取り壊され、現在はこの親柱のみが地元の神社境内に保存されています。
右上の写真でわかるように、架橋100年目に改修工事が行われたことが伺えます。

馬(うま)橋(コンクリート橋)撮影:2003.9.15
所在地:旭志村姫井
架橋:大正14年
設計:菊池土木教育財産組合
石橋ではありませんが、当時としては斬新なデザインです。
架橋当時、姫井地区より上流には土橋や丸太を渡した橋しか
存在せず、いわゆる永久橋はありませんでした。
この橋が出来たことで、初めて馬が通れるとあって「馬橋」と命名
されたそうです。
現在馬橋は使われておらず、昭和56年、下流側にコンクリート橋が
架設されています。

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